1978年9月ジムカーナは「スキャット・スラローム&ドラッグレース」と名称を改め、1985年頃まで続きました。後半はまさに異種格闘技レース。中でもアメリカン・マッスルカーとビートルとの戦いは、富士スピードウェイの観客席がほぼ満員になるくらいの人気となりました。(LET’S PLAY VWs 56より抜粋)


 

「富士スピードウェイ」でのレースに刺激されたこともあり、ペレバグでは、1981年から1985年にかけ、鈴鹿サーキットにて「バグインジャパン」を開催。全国レベルでビートルの愛好者が集まり、レースを楽しみました。当時よりレース結果をパソコンで処理していたことから、1985年まで続いたスキャット社のレースにも採用され、ボタンひとつで結果を出せるようになりました。(LET’S PLAY VWs 56より抜粋)

SCAT DRAG RACE の様子<1>

SCAT DRAG RACE の様子 <2>

SCAT DRAG RACEの様子<3>

SCAT DRAG RACE の様子 <4>

SCAT DRAG RACE の様子 <5>