想い出してみませんか、フォルクスワーゲン「ビートル」の素晴らしき世界を。1981年から1985年まで、自動車レースの聖地ともいえる鈴鹿サーキットで開催された「BUG-IN JAPAN」。参加された方々の記憶は薄らいだものの、あの時の感動は忘れようがないのではないでしょうか。これら記憶の断片を集めた「BUG-IN JAPAN」ホームページをご覧いただき、40年前のあの頃に想いを馳せていただければ幸いに存じます。


BUG-IN JAPAN ノベルティグッズ

懐かしのメディアあれこれ

PELE BUG のみんなどうしてる?

Beetleの愛好者である、全国のPELE BUG(ペレバグ)のみなさまからお寄せいただいた写真を含め、これまで収集した多くの写真を一挙に掲載しました。これらの活動が、やがて鈴鹿サーキットでの感動のBUG-IN JAPANイベントにつなっていくことから、これらの画像は日本国内における自動車競技の貴重な記録のひとつといえるのかもしれません。

1970年代に開催された富士スピードウェイでのジムカーナー。競技のみならず改造Beetleの姿に注目が集まりました。

1980年代に開催された富士スピードウェイでのドラッグレース。全国のBeetleファンが集まりスピードを競いました。

Beetle愛好家の集りであるペレバグの活動が、後に鈴鹿サーキットで開催されるBUG-IN JAPANイベントに大きく貢献しました。


空冷VWの専門店 [FLAT4] への訪問

[FLAT4]は、BUG-IN JAPANのスポンサーで、目黒と福岡にショールームがあります。お時間あればお立ち寄りください。

あの日の想い出「自動車人間詰め込み競技」

1987年2月 大阪千里セルシー広場で開催されたビックリ日本新記録という番組があった。この回は「自動車人間詰め込み競技」というもの。かぶと虫の愛称で親しまれているVWビートルに、何人の人間が詰め込めるか、という競技。「ああそういう時代もあったのね」。ウィルスが蔓延するこの時代では考えられない、20世紀の「遊び遺産」といえるのかもしれません。

BUG-IN JAPAN への想い

バグインジャパンは1981年~1985年間の僅か5年間だけ鈴鹿サーキットで開催されました。今では「伝説の5年間」とも言われていますが、当時20歳だった方は60歳(凄いな)。25歳だった方は65歳。私は当時31歳でしたから今年で71歳!になってしまいました。こうして年を数えると皆優しいお母さん、元気なオヤジ、お孫さんもおられるのでしょう。(2021年現在)

 

そういえば、鈴鹿って遠かったですよね、こうしてホームページを作ろうと思ったきっかけは「あの頃みんな若かった」と、もう一度だけタイムマシンに乗ってみようと思ったからでした。

 

お聞きしたいことは山ほどあるんですが、もうなんでも良いのです。写真なんかあれば最高です。当時のスタッフはカメラ持ってうろうろなんて出来ませんでしたから、写真って案外少ないんですよ。勿論当時は家庭用ビデオ機器なんて普及してませんから動画もありません。もし、お持ちの方がいらっしゃれば送って頂けませんでしょうかお問い合わせはこちらまで。(Naoki Shinji)

<Profile> Naoki Shinji

 1970年代初頭キットメーカーを作るためにFRPボディーワークを習得するが、当時の車検制度に阻まれ断念。関西最大のビートルクラブ「ペレバグ」を立ち上げ、会長として活動。名古屋地区のビートルクラブと伝説のイベント「バグインジャパン」を開催する。C2コルベットと1960年代フロントエンジンドラッグスターのスケールモデルコレクター。

1966年型BEETLEと共にある楽しいひと時を、ブログにしたためています。ここでは最新ブログが掲載されます。

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